インタビュー第2弾は、ビジネスコーチの高橋雅栄さんです。
皆さんから「マルちゃん」と呼ばれていますが、なぜそのニックネームなのかは、ぜひ直接聞いてくださいとのこと。今回はコーチとしての姿に限らず、マルちゃんの人生の来し方行く末からお人柄をうかがいました。
デザイナーとしてのスタート
―マルちゃん、いつもファッションが素敵ですよね。元はデザイナーだったとか。キャリアについて教えてください。
美大を出て、ファッションデザイナーとしてアパレル企業に入りました。ところが、デザインや企画は得意だったけれど、あわせて任されるパターンなどの机上の作業は苦手で、「私、モノよりも人のほうが好きなんだ」と気がついてしまったんです。それで10か月で退職して、その4か月後にはファッションビルに入るアパレル店の店長として、店頭に立っていました。
でも結局、店長も経理のような作業をやるんですよね。むしろ前よりも大変になった。逃れられないんだと気がつき、向き合って、少しずつコツが分かってきました。
ちょうどその頃に商社からお声がかかって転職し、商社では大きなプロジェクトを動かすから、1つ変われば全部変わる、紙1枚で何百万円から億単位のものが動くので、ああ向き合っておいて良かったと思いましたね。
―サラリと言われましたが、なぜ一介の店長に商社からお声が?
ご縁なんですけれども。世界のアート史をテーマにした60日間の海外旅行に誘われて、一緒に行くことにしたんです。店長なのに、1か月以上店を空けて(笑)それがきっかけで海外に目を向けるようになり、その次はニューヨークに10日間行きました。
現地で出会った人に「お店でその人の服を紹介したい」と打診したところ、「僕の商品はとある商社にお願いすると決まったばかりです。その商社と国内でやりとりしていただけますか?」ということで、その後、商社のほうからの連絡もいただけました。
そこでいろいろとやりたいことなど話していたら、「今、企画室でそういう人を探している。うちでやりませんか?」ということになりました。
花形の輸入繊維事業部で、大手リテイルメーカーさんとの間に立って、海外デザイナーさんの意図を汲みながら製品を日本向けにリプロダクションする仕事でした。だから仕様書や数字、紙とちゃんと向き合えないと仕事にならなかったけれど、そこがクリアできていたので良かったです。
もともとずっと仕事を続けるつもりで夫とも合意していたので、子育てをきっかけに辞めることになったときは断腸の思いでした。
振り返ると、長く続いていたのはコーチングだった
―コーチングとの出会いはいつでしたか?
コーチングが日本に入って来たばかりの1990年代です。当時は資格制度もなく、いち早く学んだ人からの直伝でした。
その師匠に出会ったのもご縁です。結婚して数年経ち、家族といえども普通だと思うことが違っていて、コミュニケーションが難しいと感じていたときでした。他人との間の共通言語のようなものをコーチングで学べるかもしれない、面白そうだと思ったんです。
学んでみるとまず自分に効果が出て、周囲のママ友にも「こんなふうに伝えるといいよ」「相手の話を聞くときはこんな感じで聞くといいよ」と伝えるようになりました。
本格的にコーチングを行うようになったのは、1997年に最初のNPOを立ち上げたときです。コーチングという名称は使わず、個別相談の技法としてコーチングを使っていました。

―収益事業としてコーチングを始めたきっかけは何ですか?
人生の節目を感じたことです。
キャリアを捨てて専業主婦になり、子育てと、わが街の子育て環境を良くするための非営利活動とで、25年ぐらい突っ走ってきたわけです。
それが自分も還暦を迎え、子どもたちが全員結婚し、お姑さんも看取り、団体も表彰されたりして、なんなら孫まで生まれました。「あっ、私、おばあちゃんか」「子育てはもう卒業だな」と思ったんですよ。
何が残ったかなと考えてみると、いちばん長く続けてきたのはコーチングでした。いつの間にか磨かれて光っていたことに気がついて、もっと広く社会で役に立てたいと思いました。
そこでリカレントスクールに通い、ビジネスとして活かす術を学んで、事業として始めることにしたのです。
―マルちゃんのコーチングの強みはどこですか?
1つは、長いキャリアです。教わった技法をいかに再現性高く効果的に使えるようにするか、そこに30年かけてきたことを自負しています。
もう1つは、クリエイティブな考え方を持つ人に対応できることです。経営者さんやマネジメント・エンパワーメントをするような職の方には、ゼロから1を生み出すような独特な考え方を持つ人が多いです。それを理解できるコーチは少ないと感じています。
―これまでに複数の非営利団体を設立してきたそうですが、何が原動力になって、いわば「儲からない」団体をたくさん設立してきたのですか?
自分の子どもには幸せでいてほしい。でも、自分の子どもが「一人勝ち」で幸せということはないなと思って。自分の子どもが、お友達が悲しい思いをしているときに嬉しいことは絶対にあり得ない。周りの子も、その子たちを育てている親たちもと、そう考えていくとだんだんと輪が大きく広がっていった感じです。
実際に子どもたちを育て上げてみて、親ってたまたま産んだから親なだけで、ただの先に生まれた人だなって。親は居心地のいい空間づくりや清潔、衣食住、お金をかけるのではなく本当に最低限のことだけを一生懸命やっただけだったなと思います。
非営利団体の運営も直接子どもたちに恩恵をもたらすものではありませんでしたが、「一生懸命やっていたら、ぐるっと回ってご褒美がきたな」と。ご褒美で子どもたちを神様が育ててくれたというような感覚です。
おおらかなおばあちゃんになりたい
―ご趣味が多彩ですよね。
子どものときからそうですね。まず4歳でピアノを弾きたいと言って、リストを弾くまで続けました。水泳では、溺れそうだったところから半年で関東のジュニア大会に出るまで上達。小学校4年生のときには生け花をやりたいと言って、そうしたらそれがなぜか学校のクラスで伝播して、お琴やお茶を習い始める子が出てきたりもしてね(笑)
結婚後は子育てと家事の合間に、ポーセリンアートという、陶器の絵付けを始めました。インストラクターを教えるインストラクターにまでのぼり、家に窯も置いて、市の文化協会の会員にもなっています。
ビジネスコーチをするようになってからは、社交ダンスを始め、そこで誘われてクルージング旅行にも行くようにもなりました。また、個人的にワインの試飲会をやっていたのが広がって、ビジネス交流会で出会った人たちとワイン会をするようにもなっています。
―なぜ社交ダンスを始めたのですか?
母から「あなたにはピラピラの服は似合わない」と言われていて、でも、小さいときからずっとピラピラを着たかったんですよ。子どもの頃から、ダンス教室の看板に惹かれていました。
それで、人生にやり残しがないようにしたいなと思うようになったとき、「やらないと後悔すること」のうちに社交ダンスが入ってきました。今、足掛け4年目で、月のレッスンは6時間ほど。社交ダンスを学んでクルージングに行くと、鹿鳴館のような本物の社交場があって、本当に楽しいです。

―これからの人生、どんなことをしたいですか?
なんかね、なんでもコツコツやって、できるようになっちゃう人なのね。「美しい」と「楽しい」にはめっぽう弱くて、自分に満足できないから求め続けるんです。亀の歩みでも、できるようになりたいと思って、続けていってゴールすることができる。
でも、最近はあえて目標を持って意図的に向かうのではなく、全部を運にお任せみたいな、それも楽しいなと思い始めています。
若い人から見て「ああいうおばあちゃんになれたらいいよね」と思われるような、おおらかなおばあちゃんになりたいですよね。いつも笑っている。まあいいんじゃない?みたいな、そんなおばあちゃんになりたいです。
そんなふうに生きていたら、どんなご縁がやって来るのか?楽しみです。
語り手 Hapiful Partner 高橋雅栄さん

1961年東京都渋谷区生まれ。美大を卒業後ドレスのデザイナー、店長、商社勤務を経験。結婚後、3人の子供を育てながら子育て支援のNPOなど10団体を立ち上げる。
現在は、これまでの経験を元にスタッフ育成を体系化し、社員10名以下の会社を中心とした「スタッフを戦力に育て上げるサポート」を行っている。
https://hapiful8.com/
聞き手 今井恵理(いまいさん)

(行政書士)小蛇事務所代表・本サイトの運営者。事業者支援を専門とする行政書士、インタビュー記事中心のライター、個人向けライフコーチングを行っている。
